ポッター教育研究所

教育・子育て・人間の能力に興味があります。twitterよりもdeepな内容をdeepな仲間とシェアするためのブログ。

板書について

僕は学生時代、黒板に書いてあることや、先生の言ったことをノートに「綺麗に」まとめるということをしたことがない。

 

僕は基本的に先生の話を聞いて学習内容を理解してきたからだ。

 

テスト前に自分のノートを見返してテスト勉強をしたこともほとんどない。

 

 

先生がノートに写せと言ったことは写した。

しかしそれは写せと言われたからであって、自分の学びにとって必要だと感じて黒板に書いてあることをノートに写したことは無かった。

 

もっと言うと、「綺麗に」ノートに書くことに注力して、やたらと筆箱をゴソゴソさせてカラーペンで色分けすることに必死になって先生の話を聞かず、成績が良くないたくさんの人達を軽蔑していた。

 

そんな、板書をノートに書き写すことを大切だと思っていなかった僕が教師になり、板書についても考えなければならなくなった。

 

その結果、今のところたどり着いている着地点をシェアさせていただこうと思う。

 

板書の意味

板書する意味を改めて考えてみると、僕の中では3つになった。

 

①授業自体を理解するための視覚支援

②ノートに写すことで理解させる

③後で勉強する時に見返すため

 

 

ではそれぞれについて。

 

 

①授業自体を理解するための視覚支援

 

これに関しては問答無用で必要である。

先生の話を聞いて授業を理解していたと思っている僕だって、その時の板書には理解を助けられただろう。

 

その時に子ども達がより授業を理解しやすくするために、分かりやすい板書を考えることは教師の大切な仕事である。

 

もっと言うと、教師が「黒板に書く」ということ自体が子どもにとっては意味ある行動にもなりえる。

 

「先生が黒板に書くということは大切なことなのかな?」

とか

「自分の意見を黒板に書いてもらえてうれしい!」

とかである。

 

ただ、教師が黒板に何かを書くことによって授業のテンポが悪くなることは避けたいし、子どもに背を向ける時間はなるべく短くしたいので、一回あたりの時間をできるだけ短く、簡潔に書くように心がけている。

 

あくまで視覚支援であり、そこに教師があまりに必死になったり、必要以上のウエイトを置いてしまったりすると、他の大事なことが抜けてしまう。

 

 

 

②ノートに写すことで覚えさせる

これは僕にとって目から鱗だったのだが、大学の時のある授業で、人によって学習スタイルは違うということを学んだ。

 

それまでは、やたらノートに綺麗にまとめている人や、筋トレのごとくノートに書きまくって何かを覚えようとする人を見て、何であんなに効率の悪いことをするんだろうとしか思っていなかった。

 

見て読んで覚える自分の感覚しか知らなかったからである。

 

しかし、人によっては先生の話をひたすらじっと聞くより、手を動かして書きながら聞いた方が理解しやすい人がいるということを学んだのだ。参考書をじっと読むより、それを違う紙に書き写した方が理解しやすい人がいると学んだのだ。

 

この学びを通して、授業の中には色んな学習スタイルにつながる要素を入れておかないといけないのだなと思った。

 

黒板に書いてあることをノートに写すということに関しても、その形で理解したい子のためには必要な要素なのだとはじめて知った。

 

しかし、ここで小学生のややこしいところは、自分の学習スタイルをまだ自分で理解していないことである。(高校生でもそうかもしれないが)

 

「人によって覚えやすい方法は違うから、書いたら覚えられるという人は書いてね。」

 

と全てを子どもにゆだねてしまうと、

学習スタイルがどうという問題ではなく、めんどくさがりの子は何も書かない。

 

自分の学習スタイルが自分で分かるのはもっと先なので、小学校段階ではある程度は強制で全員に書かせといてあげないといけないのである。

 

とはいえ、低学年や書くのが苦手な子にとってはすごく時間と体力を使うことなので、それにエネルギーを使いすぎて考える余力が無くなるようでは元も子もない。できるだけ写す量をしぼることにはこだわっている。

 

 

③後で勉強する時に見返すため

これも僕自身にとってはほぼ意味のないことだった。

 

実際、高校までテスト前に自分のノートを見返すということをしたことがない。学習内容についてはテスト範囲の教科書を読めば事足りるし、自分の理解確認についてはワークを解けば事足りた。

 

大学生になって与えられる情報が増えたり教科書が無かったりして、はじめてテスト前に自分のノートを見た。

 

今でもセミナーなどに行ってもほとんどノートは取らない。事務的に忘れてはいけないことや、かなり大切だと思ったことを、レジュメの表紙にいくつかメモする程度である。

 

これに関しては僕から聞きたいくらいだが、研修やセミナーの時にやたらとノートを取りまくっている人は、そのノートやレジュメを例えば1年後に見返すのだろうか?

その時に聞いて頭に残ったことが全てではないのか。

 

まぁ何が言いたいかというと、それくらい僕は自分のノートを活用してこなかった。笑

 

しかし、クラスにはテスト前にノートを見返して準備している子がいるのである。

 

将来ノートに書いて思考を整理するようになる子もいるだろう。

 

ということで、全員に書き写させる内容に関しては、テスト前に見返して有益になるような内容で、まとめ方の参考になるようには工夫している。

 

 

まとめ

①〜③まで書いてきたが、

結局の僕の着地点は

 

・視覚支援として提示してあげたい内容とノートに写させる内容を教師がよく吟味する。

・全員に書き写させる内容はしぼりにしぼる。

・全員に書き写させる内容と希望制の内容をはっきり分ける。

 

ということである。

 

 

 

上でも書いたように、授業自体を理解するための視覚支援としての板書は必須である。そして、少しは全員に強制で書かせた方が良い。

 

しかし、子どもによっては黒板に書いてあることをノートに写すということは無益であったり、かなりコスパが悪かったりする可能性があるということも教師は理解しておかなくてはならない。

 

本当にそれは全員が書き写す価値がある内容なのだろうかということはよく考える必要がある。

 

低学年は特にそうだが、高学年であっても僕は内容をしぼりにしぼる。

 

中学校に行ったら困るのではないかという声が聞こえてきそうだが、小学生という発達段階だからこそしぼるのである。

それに、今の学習内容が分からなくなっては元も子もない。

僕が全員に書き写させる量はかなり少ない。

 

 

そして全員に書き写させる内容と希望制の内容を分けることであるが、これを子どもにはっきりと伝えることにしている。

 

ここからの内容は、写してるかどうかは成績にも関係ないからね。

 

ということまで伝えている。笑

子どもにとっては大切なことである。真面目な子ほど全部書き写そうとしてしまう。

 

書いて理解するスタイルの子は書けばいいし、聞いて理解したい子にはその時には安心して聞いてもらいたい。

 

 

 

 

というところが今のところの僕の着地点である。

 

ちなみに今回は板書に限った話なので、自分の考えを書くというようなことはもちろんこれとは別の活動として取っている。

 

一教師の考えとして何かの参考になれば。