ポッター教育研究所

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学級経営の3本の柱

前回の記事で、

「自分が、学級経営において心の底から本気で大事にしていることは何か」

ということを改めて分析した。

 

「対人の逞しさを育てること」

「楽しい時間を作ること」

「個性を伸ばすこと」

 

この3つが、僕が心の底から本気で大事にしている3本の柱として浮き上がった。

 

今回は、さらにその3本の柱の相互関係についての分析である。

 

それぞれ独立しているのか。

はたまた何らかの関連があるのか。

 

 

 

学級経営に絞ると少し思考が煮詰まったので、一回視点を変えて子育てで考えてみる。

 

僕が何より大事にしている子育てで、この3本の柱は立っているか。

 

答えは「もちろんYes」。

 

子育てで目指しているのは、

「我が子が幸せになること」。

これは迷いなく瞬殺で決定である。

 

そして、そのために大事にしていることはたくさんあるが、上記の3本の柱も当然入ってくる。

 

ただ、我が子となると、大事にしていることはもっと増える。

 

その中に、その3本の柱も含まれるという位置付けである。

 

 

じゃあなぜ学級経営ではこの3本に絞られたのか。

 

 

それは、親としてできることと教師として他人の子にできることには違いがあるからである。

 

基本的には、親として我が子にできること・しなければならないことの方が当然多い。

 

ただ、集団の中で子どもを育てるという点では、教師としてだからこそできることもある。

 

それらの、教師という立場でできることという条件の中でこの3本に絞られたという感じである。

 

 

 

となると、その上位目標は、

「その子ども達が幸せになること」

なのか。

 

考えてみると、それは成立するなと思う。

 

教師として関わる子ども達も、みんな幸せになってほしいと思っている。

 

ただ、他人の子なので、できることに限界があることに加え、考え方や思想的な部分について押し付けになるようなことがあってはならないという心のブレーキも作動している。

 

 

 

ということは、

「その子ども達が幸せになること」

というのが実は僕にとって、根本的かつ最大の目標であり、3本の柱はその下に位置付けられているということである。

 

そういう意味では関連はある。

 

 

しかし、それらは教師という立場によってたまたま絞られた3本である。

 

考えてみても、その3本同士の特別な繋がりはない。

 

何というか、心情的・哲学的に確立した確固たる柱というよりは、教師という立場によって確立した、ある意味冷静というか、理性的な柱だなと思う。

 

でも、だからこそそこには、プロフェッショナルとしての意識や拘りがあるという面もある。

 

 

 

そんな感じである。

 

明日の実践に即生きるというわけではないけど、自分で言語化して理解できていれば何かと役立ちそうな思考であった。

 

僕の場合、教師という立場による、

「だからこそできること」とか「だからこそしないべきなこと」

という部分に結構プロ意識とか拘りがあるということが明らかになった。

 

するべきことをしない教師にも、逆に何でもかんでもやりすぎる教師に対しても不快感を感じるのはそのためだなと思う。

 

 

皆さんも時間がある時にぜひ!

学級経営経営において心の底から本気で大事にしていること

自分が学級経営において心の底から本気で大事にしていることは何か。

 

普通に大事にしていることというのはいくつもあるけど、しないといけないなと思ってやっていることや人からしないといけないと言われてやっていることと、自分が心の底から本気で大事にしていることはちょっと次元が違う。

 

「心の底から」思っているので、冷静な思考を経ているというよりは感覚に近くて、案外これまできちんと言語化して整理したことがない。

 

これまでの経験上、こういうのは考えていくと結局1・2本の大きな柱に集約されていくことが多いが、今回はどうか。

 

 

というわけで、まだ自分でも分かっていない。

 

書きながら思考を整理していこうと思うので、その過程も見ていただけたらと思う。

 

 

 

まず、僕は全員の子どもに学校に来て欲しいと強く思っている。

 

それはなぜか。

 

とにかく来ることで貴重な学びがあると思っているからである。

 

その学びとは、他の人との関わりである。

 

たとえ何かすごいことを成し遂げるわけではなくても、めちゃくちゃ仲の良い友達ができるわけではなくても、学校に来て他の人と関わることそのものが貴重な学びだと思っている。

 

特に幼いうちに、色んな人と関わって、感覚的に色んな人がいるんだなという慣れというか、心の容量みたいなものを広げておくことがすごく大事だと思っている。

 

社会に出てから、すごく優秀なのに人間関係のつまずきで心がポキッと折れてしまう人がよくいるけど、そこの心のしなやかさというか逞しさみたいなものを育てたい。

 

それを育てるには、対人の経験を積み重ねるしかない。

 

さらに、それは学校でならではの学び、ひいては公立学校ならではの学びだとも思っている。

 

勉強することは1人でもできるし、何らかの同じ価値観を持っている人と関わることは学校外でもできるけど、ただランダムに集められた色んな人と関わるというのは学校という場が一番である。

 

ということで、1つ目の大事ポイントは、対人の逞しさを育てるということと、学校ならではの学びという思考がひっついて形成されていた。

 

 

 

2つ目は、楽しい時間を作りたいと思っている。

 

これはもう自分の願望である。

できることなら、何でも楽しくないより楽しい方がいい。

 

思えば、これまでの人生でも、何をやるにしてもどうやったら楽しくなるかということはずっと考えていた。

 

ということは、これは教師だからどうとかっていうよりは、僕自身が常に求めていることということ。

 

学校に行くこととか勉強することって、日本では楽しくないことの代名詞みたいになっているけど、むしろそれならなおさら、僕はそれを楽しいことに変えてやろうという意識は潜在的に常にあった。

 

ましてや子ども達にとって、学校で過ごす時間ってかなり割合が高い。

 

それが楽しいか楽しくないかは、結構大きいことなんじゃないかとも思う。

 

「大事なことを成し遂げるためには、楽しくないことを頑張らないといけないこともある」

などとも言われるけど、楽しみながら成し遂げられるに越したことは無いというのが僕の主張である。

 

もちろんそれでもどうしても楽しくないことを頑張らないといけないこともあるけど、とりあえずは全部楽しいを目指すところがスタートという感じである。

 

僕自身も楽しい時間を過ごしたいし、子ども達にも楽しい時間を過ごしてほしいし、もっと言うなら、子ども達に楽しい時間の作り方を学んでほしいとも思っている。

 

まずは目指すこと。

それから、楽しい時間を作るのは簡単なことじゃなくて、考えないといけないことも結構ある。

 

楽しい時間を作ることと、その価値観や考え方みたいなものを広げたいというのは、僕の中で、教師という仕事以前に人生における幸せ全体に関わっていく大事ポイントである。

これが2つ目。

 

 

 

まだある。

個性の伸長である。

 

僕は、人間の能力に興味がある。

その人ならではの能力である。

 

すごく興味があるし、価値があるとも思っている。

 

そして、個性やその人ならではの能力は誰もが持っているけど、どこまで開花させられるかはまた別の話だと思っている。

 

そのためには、やっぱりより良い教育が欠かせない。なかなか勝手には花開かない。

 

僕は学級経営をする中で、そのサポートをしたいと強く思っている。

 

教師という仕事は、幅広い子ども達にそれができる仕事だとも思っている。

 

そのためには、自分でも驚くほどの労力を割くことも苦ではない。

 

「全員を特別扱い」「40人と40本のパイプを繋ぐ」という考え方はここから来ている。

 

これが大事ポイント3つ目である。

 

 

 

まだあるかなー。

 

 

勉強や各教科の楽しさを味わわせてやりたいとも思っているけど、それは二つ目に集約される。

 

 

こんなもんかな。

 

子ども達が楽しく関わり合って個性が輝いていたら僕はこの上なく幸せなのか?

 

うん、幸せ。

 

 

ということは、この3つで確定。

 

おー。パチパチパチ。

 

 

じゃあこの3つはどう関わっているのか、はたまた独立しているのかというのは次の記事でまた分析しよかな。

 

ご清読、ありがとうございました。

 

専科として働くメリット

僕は昨年度と今年度、外国語専科をさせてもらっている。

 

自ら希望してさせてもらっているわけだが、想定していた以上に、メリットが結構あった印象である。

 

そして、自分の中で色んな流れがあって専科を希望したが、数年前までは専科として働きたいなどとは全く思っていなかった。

 

初任の頃の僕が聞いたら驚くと思う。笑

 

そこで今回は、専科として働いてみて分かった、専科として働くメリットを挙げていこうと思う。

 

 

①教科としての系統性が分かる

やはり一番はこれである。

 

今僕は3〜6年の外国語を担当している。

つまり、小学校外国語の全てである。

 

1年目ですら、全学年を担当できることで学習内容の全体を見渡せすことができ、自分の中で学習内容の整理や把握ができたが、2年目はそれに加えて成長の部分も見ることができ、自分の教科理解が激加速している。

 

6年でこうなるために、4年のここでこの種まきをしておこう。という感じのことができるようになってきているというわけである。

 

1年目にはそれぞれの単元を単発で見るために、あまりよく分かっていなかったその単元の魅力やキーポイントが、全体を理解した上だとよく分かって、授業づくりもしやすくなった。

 

 

学習指導要領も読み込める。

担任をしている時には、正直なかなか各教科の学習指導要領を読み込むことはできず、研究授業をすることになった時に、その領域については読み込むみたいな感じだった。

 

外国語専科になり、外国語の学習指導要領は端から端まで読み込めた。

 

そして、まず文言として理解し、さらにその文言が実際の授業の中でのどういうことに当たるのかというところまである程度落とし込めている。

 

ここまで学習指導要領を自分の中で消化しながら進めるのは、専科ならではだなと感じる。

 

全ての教科についてこれをやるのは難しいとしても、キャリアの中で、自分の興味や強みがある特定の教科について、この学びを一度経験しておく価値は大いにあると思う。

 

 

②授業準備に時間を割ける

普段の授業準備ももちろんそうであるが、この2年で一番感じたのは、外部機関との連携についてである。

 

他の教科でも、それぞれ魅力的な外部機関と連携した授業実践があり得ると思う。

 

しかし、外部機関と連携するというのは、結構手間のかかることである。

 

事前事後の打ち合わせやお金の工面など、考えないといけないことは結構多い。

 

担任しながらだとそこに割ける労力も限られているが、専科ならその余裕もある。

 

しかも、自分だけで全ての授業をするので、全て自分の責任と選択で行うことができる。

 

この2年間で、5種類の外部機関と連携した授業ができた。

 

やはり、魅力的な外部機関と関わった授業は、子ども達にとっていい勉強になったし、普段味わえない楽しさを味わってもらえたと思う。

 

 

③色んなクラスに入れる

担任していると、行きたいとは思いつつも、なかなか他のクラスに入っていく機会は少ない。

 

そういう意味ではこの2年、すごく貴重な経験を積んでいる。

 

勤務校には英語教室という物も無いので、僕が各教室に出向いて授業をしているが、クラスの雰囲気が分かるという意味ではそれもさらに良かった。

 

クラスによって雰囲気は本当に様々だし、変化していく様子も分かる。

 

一番良かったのは、僕が担任の時あまりちゃんとできてなかったけど大事なんだなということが見つかったことである。

 

もし担任に復帰した時には、レベルアップして戻れる気がする。

 

 

④学校全体が見れる

これは想定していなかったメリットである。

 

今は自分のクラスという物が無いので、心から学校全体・子ども全体を良くしたいと感じている。

 

と感じるということは、それまではそうではなかったということである、、。

 

多くの子どもやクラスの状況を把握していることに加え、やっぱり担任をしている時は他のクラスのことは他人事だったんだなと痛感する。

 

多分多くの教師も同じで、強制的にこういう立場に身を置いてみないと、本気で学校全体のことを考えるという思考にはならないのではないかと思う。

 

この観点的にも、僕としては今、すごく貴重な経験をしていると感じる。

視野が広がっている。

 

あと、他の先生達のことも色々よく分かる。笑

 

 

⑤無駄な時間が無い

担任をしていると、単学級でない限り、基本的に学年の先生と協力しながら仕事を進めていくことになる。

 

それによって勉強になることも多いが、当然無駄な時間も生まれる。

 

「学年目標何にします?」

「うーん・・・」

 

みたいなやつである。

 

お互いに気を遣ったり、他の先生の仕事待ちだったりで無駄な時間を過ごすことが今は無い。

 

これについてはメリットデメリットの問題でもあるが、僕は今家庭が特に忙しいこともあり、自分のタイミングで全ての仕事を進められるというのは結構助かっている。笑

 

 

おわりに

以上が専科として働いてみて分かった、専科として働くメリットである。

 

ずっとやるかは別として、キャリアのどこかでやってみることはかなりおすすめである。

 

どのタイミングでやるかでも意味合いが変わってくるとも思う。

 

ぜひ自分の中でより良いタイミングを考えて挑戦してみては。

楽しいことを仕事にしないといけない

僕は、子育て重視の家庭で育った。

 

今考えると、子どもである僕自身がそう思えるというのはありがたいことだなと思うが、今回はそれはさておき。

 

そんなわけで、僕も自然な感覚として、プライベートが何より大切で、仕事はプライベートを支えるためにするサブのものという感覚を持っていた。

 

仕事を始めた頃もそうだった。

 

 

そしてその頃、ある動画を見る。

 

外国人が、人生における仕事に使う時間を説明している動画だった。

 

 

当時の自分の平日1日の生活に置き換えて考えると、

仕事に使う時間はドアtoドアで14時間

睡眠時間は7時間

それ以外の時間は3時間

 

人生を80年としたら、

その時点ですでに20年は終わっていて

仕事が40年

そしてその後が20年

 

 

 

仕事の割合高っ!!!

 

 

となったわけである。

 

 

 

その時の僕は考えた。

 

 

これは、、軽視できる時間ではない、、。

 

 

しかし、自分にとってプライベート、特に子育て(当時はまだ子どもはいなかったけど)がものすごく重要であるという認識は変わらない。

 

 

でも、シンプルに考えると、、両立は可能だと気づいた。

 

 

別に仕事に思い入れがあろうとなかろうと、平日の多くの時間(少なくとも10時間)を仕事に使わなければならない事は変わらない。

 

それならば、その時間を自分が楽しいと思える時間にしていけばいいだけである。

 

 

 

仕事を楽しいものにするために、自分にできることは大きく2つ。

 

まずは職業・職場選び、そしてその中での仕事をどのようにするか考えること。

 

 

当時から、教師という仕事のブラックさや不幸せな事例は世に広がっていた。

 

何も考えずに流れに身を任せていたら、自分もそうなる。

 

まずは、職業から考え直した。

 

その結果、教師を辞めようかと本気で考えた時期も1年間くらいあった。

 

でももう少し考えると、教師という仕事は間違ってなかったなと気づいた。

 

 

それなら次に、自分は教師としてどのように仕事をしていきたいか、、。

 

これは、当時も考えたし、今も考えているし、これからも節目節目で考えると思う。

 

 

 

とにかくその動画を見た時から、仕事を自分にとって楽しい時間にしないといけないなという意識がすごく高まった。

 

それも、まぁまぁじゃなくて、かなり。

僕で言うと、子育てのサブではなくて、また別の柱になるくらいに。

 

そして、仕事を自分にとって楽しいものにするというのは、そのために意識的に考えて努力しないと達成できないことだとも思った。

 

でも、考えればできるとも思った。

 

 

 

以上、僕が仕事を自分にとっての楽しさとちょっと切り離して考えていたのから、ぐっと関連づけて考えるようになったいきさつである。

 

 

まぁ、分かりやすく言うと、必要最低限以上のお金はもらえないとしてもやりたいことか?ということかもしれない。

 

教師という仕事は僕にとってまさにそれ。

もらえるお金は僕にとって必要最低限くらい。

 

でも、自分にとっての楽しさを考えると、納得している。

 

 

ちなみに、この記事の中で「楽しさ」という言葉をたくさん使ったが、言うまでもなく、深い意味を込めた「楽しさ」である。

 

シンプルに一時の感情的な楽しさも、やりがいも、自己有用感を満たしてくれるということも。

 

自分で考えて、自分の力で楽しいことを仕事にしないといけない。

中堅の入り口に立っての悩み

ここ最近、今までぶつかることのなかった悩みに直面している。

 

同僚への関わり方についてである。

 

僕は元来、他人のことには介入したくないタイプの人間である。

 

仕事でもそのスタンスは同じで、とにかく自分がレベルアップすることに集中して進んできた。

 

同僚に対してあれこれ言う時というのは、よっぽど信頼or尊敬している相手と話す時くらい。

 

そしてそういう相手なので、基本的に仕事でそんな深刻に困った状態に陥っているということもなく、気持ちの良い切磋琢磨的な会話という感じであった。

 

 

最近悩んでいるのは、「学年外で」、困った状態にある同僚への関わり方である。

 

 

僕の勤務校は4クラス規模の学校で、学年内では、あれこれ話し合って助け合うのは普通という風潮である。

 

逆に、違う学年のことに首を突っ込むということはあまりしない。

 

 

どうしてここに来てこの悩みが浮上してきたかというと、以前記事にした、僕自身の仕事人生の目標が関わっている。

 

僕の目標は「公教育の価値を高める」ことに最近決定した。

 

 

仮にもそんな目標を掲げているのに、

自分のクラス・自分の授業が良ければそれで良いというレベルの意識でいいのか。

 

自分に解決できそうな問題を放っておいていいのか。

 

ということである。

 

これまでも、きっと少なくない先輩達が悩んできたであろうこの悩みに、僕もぶつかる年齢に入ってきたんだなと思う。

 

 

先輩にあれこれ言うのは流石に難しいので、そこは仕方ないとして、同世代や後輩相手には、僕にできること・思いつくことがあるなら働きかけていくべきなのか。

 

 

僕の働く自治体では、管理職以外は全員同じ立場という方針である(僕はこれには反対だけど)。

 

だから、本来ならそういった職員の教育・指導的なことは全て管理職がやるというのが、立場的な筋である。

 

 

しかし、それがきちんと実現している状況がほぼ無いから悩んでいるのである。

 

その立場的な筋を考えて何も手出しをしないなら、自分が管理職になるまでずっとこのままということになってしまう。

 

それはどうなのか、、。

 

 

さらに、

困ったならなりふり構わず色んな人にアドバイスを求めて、その状況を何としても脱してやるという意識がある人は、そういったことにはそもそも陥りにくい。

 

学年外から見ても気になるレベルの問題を抱えている人というのは、大抵自分からは人に何かを聞きにいくという行動を取らないタイプの人がほとんどである。

 

したがって、困っている人に対して、背中で見せるというスタイルは意味をなさないことが多い。

 

 

僕は上で書いたようなスタンスの人間なので、これまでの人生で、チームのために言いにくいことも言うというようなことは殆どしたことがない。

 

 

しかし、自分個人の問題にとどまらないレベルの大きな目標を掲げたこともはじめてである。

 

 

それなら、はじめてそこに挑戦するべきなのか。

 

 

ここ2年、専科であることも大きい。

 

学校全体のことが担任を持っている時より段違いによく見える。

 

これも今の僕にとって必要な学びのできる良い立場だったんだなと思う。

 

 

 

そして、そうは言っても、

あらゆる人間関係は信頼関係ベースだという考えはここでも同じである。

 

言いにくいことを言うにしても、僕自身がその人にとって、この人の言うことなら聞いてみようかなと思ってもらえる人であるというのは大前提である。

 

そこは自分で日々の仕事、日々の関わりの中で達成しておかないといけないことだけは確か。

 

 

その上でさらにその先の一歩をどうするか、、。

 

もう少し悩むと思う。

親としての子どもの勉強のサポートのポイント

僕の兄弟は全員、幼稚園から大学まで国公立。

 

そして僕以外の2人は高学歴。笑

 

親は教育熱心ではあるけど、学歴に拘ってはいなかった。

 

実際、全員中学受験もしていないし、中3の夏までは塾にも行ったことがなかった。

 

でも結果的に、全員自分の希望する大学には進み、満足に学ぶことができた。

しかもリーズナブルに。

 

色々な考え方があるし、子どもによって向き不向きもあるのかもしれないが、共感していただける方の参考になればと思い、今思うと我が家で行われていた、親としての子どもの勉強のサポートのポイントを時系列で紹介する。

 

 

①誕生〜小学校入学

一番のキーポイントは「興味関心」。

 

そして、親が勉強というものを広く捉えること。

 

大人は、ともすれば、机に向かってする"いわゆる勉強"だけを、勉強と捉えてしまいがちである。

 

しかし、生活の中の至る所に勉強は転がっている。

 

その生活の中の「勉強のかけら」を、我が子の興味関心に合わせて拾い集めることが、この時期の親の重要な役割である。

 

 

例えば散歩中に子どもが何かに興味を示した時に、それを詳しく説明してやる。

 

「赤い葉っぱだね。」

「ザラザラした葉っぱだね。」

「前に見た時と、お月様の形が違うね。」

 

この例で言うと、理科や語彙の勉強になる。

 

 

例えば買い物に行った時に、買うものの個数や、硬貨や紙幣の数を数えさせる。

 

 

例えば町で働く人との印象的な触れ合いがあった時には、その仕事や気持ちについて少しおしゃべりをする。

 

 

他にもいくらでもあるが、例えばそんな感じである。

 

大切なのは、子どもの興味関心を生かすということ。

 

子どもは興味のあることはどんどん吸収するし、興味のないことはなかなか頭に入らない。

 

小さい頃はなおさらである。

 

ちなみにここで言う興味関心というのは、お気に入りのようなしっかりしたものも、その時偶然気になったというような小さなものも両方である。

 

その我が子の興味関心を親がキャッチして、それを生かして、時と場合に合わせて、説明したり、考えさせたり、触れさせたりするわけである。

 

その中で、"いわゆる勉強"的なことに子どもが興味を示せば、その時はやればいい。

 

今我が家の3歳の長男は、ひらがなをなぞったり、数に親しんだりするワークブックを気に入って、時々一緒にやっている。

 

それは、今長男がそれらに興味を持ってやりたがるからやっているわけで、もし興味を持たなければ、小学校入学までやらなくてもいいと思っていた。

 

一番良くないのは、子どもの興味関心を無視して親のペースで物事を進めたり、勉強を狭く捉えて"いわゆる勉強"を無理に進めたりして、子どもの知的好奇心を潰してしまうことである。

 

ここで縮んだり潰れたりしてしまった知的好奇心はなかなか回復しない。

 

それはその後の人生の学びを考えると大きな痛手である。

 

ちなみに、定期購入できる幼児向けの通信教材もすごく人気があるが、僕の親も利用していなかったし、我が家でも利用していない。

 

別にすごく否定するわけではないけど、その時の我が子の興味関心に合うものとは限らないということと、シンプルにコストもすごいので、自分達でその都度"我が子にとってのいい勉強"を考える方がリーズナブルだなという感じである。

 

 

②小学生の間

基本的に、①でやってきたことは継続&拡大である。

 

我が子の興味関心を細かくチェックして、時と場合に合わせて働きかける。

 

さらに小学生くらいになると、博物館等に行ったり、旅行にも学びの要素を取り入れたりと、動きとしても大きく、内容としても深いものにレベルアップしていける。

 

小学校に入ってからの新たなポイントは、学校の勉強を最大限活用するということである。

 

学校の勉強はただである。

しかも、先生に個別に質問してもただ。

 

しかも学校の勉強は毎日5・6時間ある。

宿題も合わせるとさらに増える。

 

この時間を徹底的に有効活用する癖をつけられるかどうかは、その後の勉強に大きく関わる。

 

かつて親に、子どもに学力をつけるために意識したことを聞いたことがある。

 

①先生の話を一言一句漏らさず聞かせる

②宿題を必ずさせる

③分からないことがあった時には先生に聞かせる

 

僕はおしゃべりだったので、授業中に私語をしていないか細かくチェックされた。笑

 

学校の授業に最大の集中力を注ぐために、予習みたいなことは家では一切しなかったし、先取りの塾にも行かなかった。

 

塾にも色々な目的があるので全てを否定するわけではないが、週に数時間の塾に入れて我が子に学力がつくと思っている保護者の方はよく考えて欲しい。

 

学校の授業は毎日5・6時間である。

 

こちらの学びの質を高める方が明らかにコスパがいい。

 

少なくとも我が家では、これを徹底しただけで、中3まで勉強が分からなくなることはなかった。

 

しかし、学校の勉強を最大限活用するというのは、地味かつ中長期的に効果を発揮するものなので、勉強法を聞かれた人にアドバイスしても、真剣に受け取って実践する人はほぼいない。

 

リーズナブルなのになーといつも思う。

 

 

③中1の1学期

親が具体的に勉強に口出しをするのはこの時期まで。

 

①②に加えてここで押さえないといけないのは、定期テストへの準備の仕方である。

 

小学校の勉強では、上記のポイントさえ押さえておけば、正味それ以外の家庭学習はほぼほぼ必要ない。

 

しかし中学校となると、さすがに定期テスト前にはそれ用の家庭学習をする必要が出てくる。

 

そのやり方を教えてやるのだ。

 

でもやることはすごくシンプル。

 

テスト範囲の教科書を隅々までよく読む。

テスト範囲のワークをきちんとやる。

 

ということ。

 

もちろん「きちんと」の中身が大切なわけで、

①1回解く

②もう1回解く

③①②で間違ったところを正解するまで解く

ということ。

 

これを1学期の中間テストと期末テストと2学期の課題テストに向けての準備までは、親がしっかりチェックしながら教えていく。

 

でも逆に言うとこれで終わりである。

このシンプルな勉強法は、その後の全ての自主学習の基礎になる。

 

もしこの後にまだごちゃごちゃ細かい口出しをする必要があるなら、ここまでのサポートのどこかがミスっていたと言える。

 

実際、我が家ではこの時期以降、特に高校に入ってからは、親から早く寝ろと言われることはあっても、勉強しろと言われることはなかった。

 

(ちなみに我が家では、必要に応じて、学校のワークに加えて、家庭でも教科書準拠の問題集を購入していた。やることは学校のワークと同じである。)

 

この方法も、勉強法を聞かれた人にアドバイスしても、真剣に受け取って実践する人はほぼいない。

 

リーズナブルなのになーといつも思う。

 

 

④その後

僕はその後、周りに流される感じで、高校では予備校に通った。

 

でも自分で言うのも何だが、受験直前の対策講座以外は別に必要なかった気がして、弟には高校も塾なしでやってみろと注文した(偉そうにw)。

 

その結果、高校でも②③をきちんと徹底した弟は、受験直前以外は塾にも行かず、僕よりも遥かにいい大学に入学した。

 

リーズナブル負けである。

 

 

⑤読書

上記の①〜③に加えて、我が家では読書にはかなり力を入れていた。

 

特に小学校中学年くらいまでは親リードで。

 

小さい頃は寝る前の読み聞かせ。

図書館では毎月の家族全員の図書館カードを使って制限いっぱいの本を借りる。

 

これも、中学年くらいまで親がリードして本好きにしてしまえば、後は自走する。

 

図書館を利用しまくりでほぼ買っていないので、これもリーズナブル。

仕事人生における目標・ビジョンを定めた理由

前回の記事で、今のところの僕の仕事人生における目標・ビジョンを考えたということを紹介した。

 

今回は、なぜ最近それを考えないといけないと感じたかというところである。

 

 

 

まずは、残り時間が見えてきたことである。

 

まだ若干9年目にして早いわと感じられるかもしれない。

 

でも、残りの仕事人生約30年、周りの人を見ると、もし自分がよくあるパターンでステージを上げていけたとしたら、後半20年は管理職や教育委員会という可能性がある。

 

となると、僕に教諭として残された時間はあとたった10年。

 

その時間を考えると、何となく頑張るで過ごしてしまうと、後で後悔することになるかもしれないところにはもう早くも来ているなと感じたのである。

 

時間が全然無いわけではないけど、意味ある1年を毎年過ごしていく必要はあるという感じ。

 

 

そして、どうすれば自分にとって意味ある時間を積み重ねられるかを考えると、やはり目標・ビジョンだと思ったのである。

 

目標・ビジョンによって、頑張りどころや掴みにいく物が変わってくる。

 

後で微調整はあるかもしれないし、具体的なところはだんだんはっきりするのかもしれない。

 

でも何となくの大きな目標やビジョンはそろそろだなという感じである。

 

そしてさらに、それをある程度公言・宣言していくのも大事だと感じた。

 

自分に程よいプレッシャーをかけるという意味でもそうだし、それによって与えられるチャンスもあるかもしれない。

 

ここにわざわざ書いて皆さんに読んでもらうということも、少しではあるが、自分へのプレッシャーになる。

 

目標・ビジョンに向けて残り10年、何ができるか、どこまでいけるか。