ポッター教育研究所

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理想の学級担任像

学級担任をしていると、進むべき道を迷う時がある。

 

 

目の前の子ども達に対して、今どういうスタンスで関わるのが良いのだろうか。

 

はたまた、もっとロングスパンの問題で、これから自分はどんなスタイルの学級担任になっていけば良いのだろうか。

 

 

そんな時に指針となるのが、理想の学級担任像である。

 

 

しかし、理想の学級担任像をえがくということも、これまた難しいことなのである。

 

先輩から

「君はどういう担任になりたいん?」

と聞かれて、

「それが分からないんです!」

と後輩が答えているシーンを何度も見た。

 

 

今回は、僕なりの理想の学級担任像のえがき方と、その結果、僕がえがいている理想の学級担任像を紹介する。

 

 

 

 

まず、理想の学級担任像のえがき方である。

 

これは、もちろん一つの要素だけで決まるものではない。

 

自分の能力やキャラクターに合うということや、今の時代に世間から求められていること等も関係してくるだろう。

 

 

しかし、僕にとって1番大切な要素、それは「自分の学級担任がどんな先生ならうれしいか」である。

 

 

これをとことん考えた。

 

しかし、とことんと言っても、自分の欲求なので感覚的に割とポンポン出てくる。

 

他の人からこうするべきと言われたことをとりあえずはできたとしても、最終的には自分自身の価値観と一致していないと、極めた先に深みは出ないと思うのだ。

 

 

ちなみに、自分の願いと自分のしていることがあまりにもズレている人は、外から見ていても少し痛い。

 

分かりやすい例で言うと、自分が子ども達に当たり前のようにやっていることを管理職にされて文句を言っている人である。

 

 

とまあ、そういう志の低い話は置いといて。

 

でも実際考えてみると、意外と自分が子ども側だったらの欲求と、教師としてしようとしていること(しないといけないと思っていること)がズレているということに気づくこともある。

 

 

自分がもし小学生だったらでも良い。

教師として、教師塾的なものに行ったとしたらとか管理職に求めることでも良い。

 

自分の担任がどんな先生だったらうれしいかを考えてみることをおすすめする。

 

 

 

次に、その結果、僕がえがいた理想の学級担任像である。

 

要素は大きく3つに分かれた。

 

①ついて行った先に楽しいことが待っている

②個別の評価をくれる

③知識豊富

 

 

 

まずは①について。

授業でもそれ以外でも、その人について行った先に、楽しいことが待っているというのは僕にとって大きな魅力である。

 

ワクワクさせてくれるということ。

 

子ども達自身で作っていく部分もあるとはいえ、やはり前に立つ人の影響は大きい。

 

 

これを自分が担任の立場として子ども達に感じてもらうために、何を心がけるべきか。

 

まず何を楽しいと感じるのかというマーケティングをするということ。

 

そして実際に楽しいことが起きたという事実を積み重ねていくこと。

 

 

 

次に②について。

ここで出した評価というのは、良い評価のことだけを指しているわけではない。

 

良いところも、レベルアップするために改善した方が良いところも含めて、僕をよく見て評価して欲しいということである。

 

 

これを子ども達に感じてもらうには。

 

まずよく見ること。

 

そしてその個別の評価とアドバイスを伝える場を意図的につくること。

 

 

 

最後に③について。

「子ども同士で学ぶ」

「教師も子どもと一緒に学ぶ」

そんな時間が価値をもつということをよく聞くようになった。

 

それも一理あると思うし、そんな時間があってもいいと思う。

 

しかし、僕が子ども側なら、基本的には何でも知っているような人が前に立っていて欲しい。

 

もちろん限界はあるのだが、少なくとも今やっている授業の学習内容に関しては準備をしっかりすることと、その周辺知識的なものも、その際にインプットするようにしている。

 

その他、今の授業に関係ないことでも、いつ役に立つか分からない。ふと気になったこと、友達との会話、すべてが知識吸収の機会である。

 

 

 

まとめ

どうだっただろうか。

 

理想の学級担任像というのは、人それぞれ違っていいものだし、むしろ違うべきものかもしれない。

 

その人ならではの能力や価値観が味となるのが学級担任の醍醐味だからだ。

 

ということを考えると、

〇〇先生を尊敬したり憧れたりするのはいいことだが、

〇〇先生が理想の学級担任像そのものになってしまうというのは、少しもったいないことなのかもしれない。

 

みんなが自分自身でよく考えて、自分ならではの理想の学級担任像をえがき、自分ならではのよさが光る学級担任になっていったら、すごく面白味のある教師陣になると思う。

 

僕も、自分の理想の学級担任像に近づけるように前進していく。