「きたない教室」では学級崩壊が起こるのか
「きたない教室」では学級崩壊が起こるのか。
必ず?
もちろんNO。
整理整頓が苦手で教室はすごくきたないけど、子ども達と温かいクラスをつくっている教師を見たことがある。
ではよく言われる
「きたない教室」では学級崩壊が起こる
という話は全くの嘘なのか。
これまたそういうわけではない。
これまで崩壊してしまったクラスをいくつも見てきたが、やはり「結果的に」きたない状態のクラスがほとんどであった。
では何が言いたいか。
その「方程式自体」は100%ではないということである。
教師の世界に入って、
〇〇なら〇〇。
とか
〇〇と言えば〇〇。
とか
〇〇する時には〇〇するもの。
とかいう「方程式」をいくつも聞いたり言われたりした。
普通に理解納得できて、何の違和感もなくその通りにしてきたものもあれば、中には「え?」と思うものもあった。
経験の浅い頃は、とりあえず先輩の言う通りにしたが、その後やっていくうちに完全に間違いだと気づいたものもあるし、メリットよりデメリットの方が大きいと気づいたものもある。
学校現場では、この「方程式」に対して思考停止状態になっていることが多いと感じるのだ。
AならB。
のAの部分に色々な要素が含まれているからBになりやすいということであって、AとB自体に直接的で絶対的な因果関係はないということ。
大切なのはAの要素をどう捉えて分析するかということ。
その要素の部分まで考えて、自分の中で理論づけられているのならいいのだが、そうでないなら、子どもとの間に溝をつくってしまったり、仕事の能率を下げたりしてしまう。
若い教師が、先輩から言われた「方程式」に当てはめようと必死になるあまり、大切なことを飛ばしてしまい、子どもとの関係が悪くなってしまうというのはよくある話だ。
教師はもう少し要素の部分を丁寧に考える必要があると思う。
例えば題名にした「きたない教室」の話なら。
これはみんな割と要素の部分まで考えている話題だとは思うが、例えばで分析してみる。
①きたないと変化に気づきにくい
→いつもきたない状態なので、何かいつもと違うよくない変化が教室で起こっている時に気づきにくい。
②きたないとトラブルを解決しにくい
→物が無くなったとか汚れたとかいう場合に、いつどういう状況で起こったのか分かりにくい。
③教師に余裕がない
→きれいにしたいと思っているのにきたなくなっている場合、それだけ教師に精神的物理的な余裕がなくなっているということ。
④指示が通っていない
→そもそも子ども達にきたなくならないように指示を出しているのにそうなっている場合、指示が通っていないということ。
ざっと思いついた要素はこんなところである。きっともっとたくさんあるだろう。
逆に言うと、たとえ教室がきたなくなっていようと、この要素がクリアされているならば問題ないということである。
今回伝えたいのはこの部分である。
学級崩壊に直接的に関わってくるのは、「教室がきたない」ということではなく、その要素なのだ。
その他にも学校には色々なローカル方程式的なものがある(板書にはめあてとまとめを書くべき・授業のはじめとおわりには号令をするべき・移動教室は並んで行くべき・運動会に入退場門は必要等)。
大切なのは、それらに出会った時に、自分自身でしっかりと「要素」を分析して、自分なりの理論をうち立てることである。
何も考えずに、近くにいる先輩が言っているからとか、その学校ではそういうことになっているからとかいう理由だけで動いてしまうと危険である。
「自分自身」の中にしっかりとした理屈や理論を積み重ねていくことが、説得力や、能率的で意味のある仕事につながっていく。
とはいえ、若い人はとりあえずはその場の先輩や職場に合わせた方が身のためということもあるだろう。
しかし、違和感を感じたことは必ず覚えておいて、しかるべきタイミングで自分なりの検証や、理論づけを行うことをおすすめする。
ちなみに僕は「要素」を分析した結果、教室や職員室の机はきたなくならないように気をつけている。
家族からは
「信じられない。家でもやれや。」
と言われるが、要素を分析した結果、家は散らかっていても問題ないと踏んだのである。