「特別扱い」をどう扱うか
クラスの誰かを「特別扱い」することによって、他の子からずるいというクレームを受けて対応に悩んだことはないだろうか。
もしくは、受けることを警戒して悩んだことはないだろうか。
特に、クラスの中でも動きの派手なタイプの子に対しては、分かりやすく他の子と違う対応をとる事が、その子にとっての最善ということも多く、「特別扱い」をどう扱うかがポイントになってくる。
この問題は、「一人一人のよさを光らせる」という僕の学級経営の柱に大きく関わってくることなので、1年目からどうするのがベストかずっと考えてきた。
今回は、その考えてきたことを3段階に分けて紹介しようと思う。
1 全員を特別扱い
まず教師自身の考え方レベルの話である。
特別扱いをどう扱うのかを考えた時に、最終的にたどり着いたゴールは「全員を特別扱い」である。
僕の価値観的には、学級担任として、30人の集団を一つに束ねていくというより、30人と一本一本パイプをつないでいくという作業・考え方に重きを置こうということになったわけである。
その先に、ゆるりとした共同体が出来上がっていくというイメージである。
30人全員とパイプをつなぐと言うと、それは数的に不可能だと言われることもある。
確かに楽なことではない。
限られた時間の中で、しかも特に動きの派手な子に多くの神経を使いながらである。
そんな中でこの目標を達成するためには、一人一人が何を考えているのか・何が得意なのか・どんな支援を必要としているのか等をつかむために、毎日まさに必死で観察することが必要になる。
これは経験を重ねたからといって、楽になる類の作業ではない。
日々気を張って、地道にパイプを作り上げていくしかない。
しかし、それらを本気でやれば目標達成は不可能ではない。
実際に、ある程度達成してきた自負もある。
やる気の問題である。
やる気というか興味と言った方が正しいかもしれない。
「全員を特別扱い」することに教師が重きを置き、そのために本気で動く。
そうすると、全員が特別になるので、そもそも「特別扱い」という感覚が薄れていく。
この考え方・目標を教師自身が持つことが、「特別扱い」問題をクリアするための僕の中での第一段階であった。
2 クラスに土壌をつくる
次は、「全員特別扱い」を達成するために、学級開きの日から繰り返し伝えて、クラスに浸透させたい考え方についてである。
それは、「誰にでも得意不得意がある」ということである。
この考え方を浸透させることが、「全員特別扱い」を達成するために必要な土壌をつくっていく。
学校生活の中でピックアップされがちな「得意」というのは、例えば運動ができるとか、計算が早いとか、手を挙げて発表できるとかそういったものである。
そこで、教師がここに付け足していく。
前向きに考えられること、みんなのために動けること、これから起こることを考えられること、誰とでも協力できること等。
そんなことも「得意」に入っていくんだということを子ども達に感じてもらう。
学校生活の中でピックアップされがちな「苦手」というのは、例えば授業中じっとできないとか、感情をコントロールできないとか、忘れ物が多いとかそういったものである。
そこで教師が解説を加える。
それらも、たくさんある「苦手」の一つにすぎないと。
周りから見えやすくて目立つかもしれないが、給食を食べるのが苦手なことや、手を挙げて発表するのが苦手なことや、誰にでも話しかけに行くのが苦手なことと同じ「苦手」なのだと理解してもらう。
その上で、一人一人の得意なことに目を向け、一人一人のよさが光るクラスにしていこうということである。
そのために、一人一人の苦手なことを責め合うのではなく、得意な人が支えていこうということである。
全員に得意なことも苦手なこともあるということを、細かく詳しめに、そして事あるごとに何度も伝えていく。
あなたにも当てはまっていると具体的に感じさせたい。
そうすると、教師がその「苦手」をフォローするということも自然なことになり、ずるいという発想が生まれにくくなると思っている。
3 具体的な対応
第一段階や第二段階を経た上で、具体的な対応がある。
第二段階がうまくいっていれば、それだけで、ほぼほぼずるいというようなことは言われないのだが、それでももしそんなことがあった時に使える具体的な対応である。
一つめは、「特別扱いしているプロモーション」である。
日々あなたにも特別扱いしてるよね、ということを伝えるのである。
「給食苦手な人に、無理やりみんなと同じ量食べさせたりしないよね。」
「発表苦手な人に無理やり発表させたりしないよね。」
上でも挙げたように、授業中に立ち歩く等というような行動は目立つ。
でも、他の苦手と同じ、一つの苦手なのである。
教師が、他の目立たない苦手もしっかりと理解してフォローしているなら、それと同じだという話が説得力をもつ。
無論、例えばその立ち歩きについての対応やフォローの仕方を教師と本人と保護者が共通理解して、その範囲の中で動いている場合である。
二つめは、「じゃあ君にもやろか」である。
本気でその対応が羨ましかったり、自分にも必要だと感じたりするならば、やってやるよ、ということである。
ただし、本当にやると言うなら、保護者の人と相談して、あなたとも休み時間や放課後に時間をとって話し合う必要があるけどね、ということを伝える。
実際に、動きの大きな特別扱いをする時にはそうしているのだ。
これで大概「やっぱりいいですいいですー!」になる。
これでしょうもない案件は粉砕である。
大抵これを一度やると、もう二度と同じようなことは言ってこなくなる。
ただ稀に、本当に自分も保護者に相談してもらってそうして欲しいという子がいる。
その場合にはもちろんそれを実行するまでである。
単なる脅しで言っているわけではなく、本当に必要なフォローなら、きちんと手続きを踏んだ上で当然「君にも」やってあげるのだ。