男性教員である僕が育休を取った理由
前回の投稿で書いたように、7月に第二子が生まれ、僕は1ヶ月半仕事を休んだ。
これまでの教員生活の中で、職場でそういう動きをしている先輩に出会ってきたのかというと、実際には1人も見たことがなかった。
今回はせっかくなので、そんな中でどうして育休を取ってみようと思ったのか、さらに意識したことは何かを紹介する。
まず育休を取ろうと思った理由は大きく3つ。
①自分自身がこの一大事にしっかり家族と関わりたいから
②妻や子ども達にとっても、僕が育休を取るということは意味があると思ったから
③これからの日本社会(特に教育界)を動かすため
それでは一つずつ。
①自分自身がこの一大事にしっかり家族と関わりたいから
まずはもちろんこれである。
子どもが生まれるなんて人生の中のうれしいうれしいビッグニュースである。
そんな貴重で、しかも一瞬のこの時間を、僕自身がしっかりと家族と過ごしたいというのが1番である。
新生児をじっくりと抱っこして見る。見まくる。
2歳の長男としっかり遊ぶ。
仕事がある以上、こんなに集中してただただ我が子と関われる時間なんてなかなか無い。
ここに人生の大きな価値を置く僕にとってそれだけですごく贅沢な時間である。
実際、期待通りの充実した時間を過ごすことができた。
②妻や子ども達にとっても、僕が育休を取るということは意味があると思ったから
まずは妻とのこと。
出産というスペシャル大仕事をやってのけて、さらにまだ満身創痍という時に、夫が少しでも「特別な」協力をする姿勢を見せるということに意味があると思ったのはもちろん、普段のことにも関わっていくと思ったのである。
我が家では、長男出産以降、妻が日中の家事育児を担当してくれている。
一応やっていることは把握しているし、イメージもできる。
ただ、実際にやってみないと分からない部分もあると思っていた。
家という閉鎖的な空間での仕事、自分の仕事が子どもの人間形成や体調や命に直結するというプレッシャー等。
たった1ヶ月半で、しかも両両親のサポートもあるので、普段の妻の仕事とは少し違う部分もあるけど、それに似た体験を僕もするということは、妻にとっても意味があることなんじゃないかということである。
実際、仕事をしながらセカンドの立場で子どもと関わっている普段の時と比べて、感じ方が違うなと思うこともあった(具体的には、イラつきやすくなったり、子どもにより完璧を求めがちになったり)。
これは、今後の夫婦関係にも意味があるんじゃないかと思う。
次に子ども達とのこと。
出産直後の「今」のことを考えても意味があることは間違いない。
生まれたばかりの次男にとっては完全に物理的であるが、大人の手が増えることで細かくケアができる。
2歳の長男にとっては、自分がオンリーワンでなくなるという「大事件」が起きるわけで、このメンタル危機に親が自分をガッチリ見てくれるかどうかは大きいことだと思う。
ただし、子ども達は0歳と2歳。
この時間のことはいずれ忘れてしまうだろう。
でも、「将来」のことを考えても意味があると思うのだ。
後に話を聞いて誇りに思ってくれたら嬉しいし、そういうことに価値があるのかと感じてくれるかもしれない。
もしかしたら子ども達が親になった時の行動に影響を与えるかもしれない。
教育・子育てに大きな興味と価値を置く僕としては、この行動自体が、今の、将来の息子達への価値観を伝えるメッセージになる。
③これからの日本社会(特に教育界)を動かすため
こう書くと大袈裟だが、一応本気である。笑
今日本社会では、イクメンという言葉が広がり、父親の育児参加を促すための様々なシステムも整備されていっている(そもそも父親が家事育児にまともに参加しなくて当然という今までの風潮がナンセンスだし意味不明だとは思うのだが、過去のことは言っても仕方ないので今は置いておく)。
しかし、システムがかなり整備されている割には稼働率は低い。
何事もそうだと思うが、制度の壁を壊した後にはメンタルの壁を壊さなければならない。
気持ちは僕もすごく分かる。
「誰もやってないし変に目立ちたくない、、。」
「職場にイレギュラーな迷惑をかけたくない、、。」
といったところだろう。
実際に僕自身、7年間働いてきたが、育休を取っている男性教員を一度も見たことがなかった。
それでもなぜ自分が思い切って動いてみようと思えたか。
雰囲気を動かしていくには、誰かが動いて前例を作っていくしかないと思ったからである。
これも日本人の性だなと思うが、誰かがやってたらやるのである。
そしてそれが当たり前になっていったら、それを念頭に置いたシステムも作られていく。
正直、今のままの小学校現場で女性教員に続いて男性教員も育休をガンガン取り出すと、苦しい状況が生まれることも多いと思う。
しかし、それがおかしいのである。
どうしてそんなおかしい状況が放置されているかというと、みんなが気を遣って育休を取らないから、そのための対策を取る必要感も発生していないからである。
今回僕が休みをもらったことでも、負担をかけてしまった人達がいるだろう。
でもそんな例を積み重ねることで、やっと真剣にその対策を考えていくと思うのである。
価値あることを進めるためには、そのために多少の労力は払わないといけない。
また、僕たちは教師である。
教育に関係のある分野では、他の業界を引っ張っていくべき存在ではないのか。
そんなことを考えている教師がどれくらいいるのかは分からないが、少なくとも僕にはそんなプライドがある。
また、教師の姿そのものが、子ども達にとって教材となる。
第3の大人である教師が、当たり前のように育休を取っている姿を見たら、子ども達にとってそれが当たり前になっていくと思う。
今回僕は、あえて子ども達に休む理由を説明した。
家族や職場の大人だけでなく、何百人の子どもの中にも小さな種をまいたつもりである。
教師だからこそ、子ども達にそういった姿を見せていかないといけないと思うし、だからこそ、僕は教育界から変えていきたいのである。
意識したこと
もちろん①や②の理由が優先順位は上である。
そしてそこについては、思いっきり楽しんで、この1ヶ月半を価値ある時間にしていこうという気持ちだけである。
ただ、③については、意識しておかないといけないことがあるなと思っていた。
僕は、自分が育休を取るだけでなく、男性の育児参加への意識を高め、育休取得を広めたいのである。
まず職場の同僚に対して。
僕の今回の育休取得について、同僚はみんな快く受け入れてくれてありがたかったが、心の底でどう思っていたのかは分からない。
まだまだ目新しい行動なので尚更である。
その評価は、僕の仕事の評価にも左右されると思うのだ。
例えば異動してきた去年1年間の僕の仕事ぶり、育休前後の動きなど。
僕自身がみんなから評価されていなかったら、育休取得は
「仕事ができない人がやってる変な動き」
「だから育休なんて取られると困るだけ」
とみなされる可能性があるし、
僕自身がみんなから評価されていれば、
「あの人がやってるならきっと価値あること」
とみなされる可能性がある。
子ども達にとっても同様。
僕が尊敬できる教師なら、僕の動きは価値あるものとして子ども達に入りやすいだろうし、逆もまた然りである。
自意識過剰かもしれないが、新しいことをする以上、それくらいのプレッシャーは感じていた。
そしてそれはこれからも続く。
「珍しい」ことでも、あの先生がやっていることなら価値あることなんだろうと周りの人に思ってもらえるように、「普段の」仕事を磨いておく。