ベストな教育・ベターな教育
僕はこれまで教育に関心がある者として、「ベスト」な教育とはどういうものなのかをずっと考えてきた。
そして2年前に子どもができ、妻と共に、満を辞して考えてきたことを実践しているところである。
実際に子育てがスタートするまでは、教育に関する様々な情報が溢れている中で、自分の考えていることが正しいのかどうかピリピリと考えていた。
特に自分の意見と対立するような意見に対しては、正しいのはどちらなんだと心の中で勝手に争っていた。
まだ自分に実践が無く、机上の空論状態だったので、当然答えがはっきりすることはないのだが、逆にだからこそ「ベストなのはどっちなんだ」とピリピリトゲトゲ考え続けていた。
そして子育てが始まって2年。
思っていたより早く色々な結果が見えてきた。
もちろんまだ1人も育て上げていないので全てが見えているわけではないのだが、子育て全般の基礎のようなものはもう見えたのである。
そして、妻と考えてきた「ベスト」は、やはり「ベスト」だと確信を持つことができた。(たかだか2年で分かるわけないだろという批判は受け付けます。)
ここまではめでたしめでたしの話なのだが、さらに見えてきたことがあった。
子育てのために我が家で作っている環境や、子どもにしていることは、あまりにも汎用性が低いということである。
教師として働き、また色々な知り合いと話をする中で、他の家庭の子育ての様子を知ることがある。
アドバイスを求められるようなこともあるのだが、ほとんどの場合、我が家でやっている「ベスト」な教育を適用するのはもはや不可能なのだ。
例えばの要素で言うと「両親自体」である。
我が家で掲げる「ベスト」な教育に、良質な父親と母親の存在は欠かせない。
条件は
・父親と母親がどちらも子育てに強い関心を持っていること。
・父親と母親が協力していること。
である。
この条件だけで、かなり絞られてしまうという現実を目の当たりにしてきた。
学力面で言うと読書。
我が家では生後3ヶ月から読み聞かせを始め、2年間で図書館で借りた本は300冊を超えた。
読み聞かせの回数で言うと1000回は軽く超える。
2年で1000回である。
小学校に入学する時、ほとんど読み聞かせをしてもらっていない子と比べて、読解力に差がついていて当然である。
むしろ違いがない方がおかしい。
もちろん他にもたくさんの要素があるのだが、例えばのこの2つだけでもクリアできる家庭はほぼほぼ無いということが分かった。
何が言いたいかというと
「ベスト」な教育は、我が家で、我が子に対してしかできない。ということである。
親として、我が子を楽しく育てていくという意味では、これで十分である。
これからもこの調子で勉強を続けていけばいい。
しかし、職業としてプロとして世の中全体の教育をよくしていきたいという思いも自分の中にはある。
そうなった時に、我が家でしている「ベスト」な教育だけを良い形として推し進めていくことは無意味に近い。
汎用性が低すぎるのだ。
我が家で我が子に行う「ベスト」な教育とは別物として、色々な状況の人に当てはまる「ベター」な教育を考えていく必要があると感じたのである。
世の中には、自分は子育てを頑張りたいけどパートナーが全然協力的でない人や、そもそもシングルで子育てを頑張っている人や、働くために子どもを長い時間どこかに預ける必要がある人もたくさんいる。
図書館で本を借りることも読み聞かせをすることも家の中に大量の本を置いておくことも労力のいることである。
良いと分かっていてもなかなかできない人もいる。
プロならば、そんな様々な状況の人にフィットする「ベター」な教育についても考えていかないといけない。
また、ここまで散々「ベスト」などと偉そうな表現をしてきたが、それは、僕たち夫婦が目指す子育ての目標を達成するためのベストという意味である。
子育てに他の目標をもっている家庭にとっては他の「ベスト」があるだろう。
そもそも目指す目標が違うこともあり得るわけだ。
そんなことなどを考えて、我が家で行う教育と、それとは別の形の教育も考えていかないといけないなと感じる今日この頃なのである。
自分達が我が子にしている教育に自信がもてたことで見えてきた景色でもある。
やはり教育は、現場・実践・結果が基本であると感じる。