ポッター教育研究所

教育・子育て・人間の能力に興味があります。twitterよりもdeepな内容をdeepな仲間とシェアするためのブログ。

僕はAIが1ミリも怖くない

僕達一人一人には、誰にも負けないスペシャルな能力が備わっている。

 

 

それは一つかもしれないし、二つあるかもしれない。ただ、誰にも負けない能力である。そんなにたくさんは無いだろう。

 

しかし、全員に備わっている。

 

 

これが僕が今信じている仮説である。

 

この能力を「賜物」と呼んでいる。

 

 

 

 

この賜物こそ、人の魅力の大きなパーツである。

 

 

 

 

賜物の特徴は

自分では気づきにくい

ということ。

 

 

努力によって勝ち取ったものではなく、元々備わっているだけに、自分にとっては当たり前すぎて気づきにくいのである。

 

そして多くの場合はよく知っている人にしか分からない。

 

 

 

 

 

僕の場合(自慢みたいになるけどブログ見てくれてる人達なので許してね)、おじいちゃんが気づいてくれた。

 

高校生の時である。

 

「お前は子どもなのに、やけに社会のこととか色んなことを分かったように話す。そしてそれは合ってる。」

 

と言われた。

 

確か世の中について何かを話していた時だったと思う。うちの親は公務員なので会社の話は全く家では聞くことができない。なのに、やたらと的を射たことを言う。ということである。

 

その時は、

まぁおじいちゃんだし、またいつもの孫バカかな。

 

と思っていたのだが、何度も言ってくれるのでよくよく考えてみると、確かにその節はあるなと感じたのである。

 

 

 

 

 

 

 

僕は、「客観的に物事を理解すること」

が異様に得意。

 

 

 

 

高校の時だったので、分かりやすい出来事に受験があった。

 

僕は受験に合格するために何をするべきかということがはっきりと分かった。

 

友達のことも分かった。

 

だから、的外れな勉強をしていたり、明らかに目標に対して勉強量が足りていなかったりする友達を見ると、

「どうしてああいう事になるのだろう、、。」

と思っていた。

 

自分で考えたらわかるような事も全部塾に考えてもらって、言われるがままに講座を取りまくっている友達を見て不思議に思っていた。

 

 

しかし、自分がそういうことを考えることが特別に得意なのだと思うと、腑に落ちた。

 

 

 

その後も受験で言うと、

 

東大入試の勉強のアドバイスもした。(僕は勉強内容はさっぱり分からない。むしろ聞いてもない。でも話を聞くと勉強方法や優先順位は考えたら分かった。)

 

看護師試験を受けるという友達にどう勉強したらいいかのアドバイスもした。

 

県内最底辺の私立高校に挑戦する勉強が絶望的に苦手な子へのアドバイスもした。

 

 

全て僕とは異世界の受験だったが、話を聞いて状況を理解すると、どういう勉強をするべきかということははっきり分かった。

 

そして受験に関してはアドバイスをした人は全員受かった。

 

 

その他にも、

職場のシステムの非効率的な部分も、人間関係の相談も、よく考えればどれも問題点がはっきりと分かった。

 

 

僕の賜物は、自分の感情を排除して、

客観的に物事を理解する力

なのである。

 

 

 

そのあと考えると、

父も母も弟Ⅰも弟Ⅱもそれぞれ賜物をもっていて、それが何かが分かった。

 

そしてもれなく自分ではその能力に気づいていなかった。

 

もっと言うと、親も我が子を同一化するようで、弟達の能力を親は僕より理解できなかった。自分の子どもがそんなにすごいとは思えないようである。

 

しかし、その後のブラザーズの活躍で、その賜物達が日本一のレベルにあったことは証明された。

 

 

 

 

今回の投稿で言いたいのは、

賜物は

 

生まれながらにもっている能力である

 

ということと、その一方で

 

発揮させないこともできる

 

ということである。

 

 

 

 

 

生まれながらにもっているので、発揮するのに特別な努力は必要としない。

 

自然と発揮されるのだ。

 

しかし、順調にその能力が発揮されるには、発達段階に応じた最低限必要なものに関しては、しっかりと受け取りながら成長していく

 

ということが必要になるのである。

 

 

 

 

例えば

乳幼児期に親との十分なスキンシップがなかったら、そこに抜け落ちが生まれる可能性がある。

 

例えば

好きなことを思いっきりやりまくるべき時期に、親に押し付けられたものに縛られたらそこに抜け落ちが生まれる可能性がある。

 

 

 

 

賜物を理解していなかったり、見くびったりしている人に、僕から見たらズレている「英才教育」がよく見られる。

 

努力することも大切だし、親がある程度引っ張って何かをさせることは必要だが、それによって得られるのは所詮その程度のもの(僕的にはあくまで最低限必要のもの)。

 

その子にとっての最強の能力は

生まれながらに備わっている

のである。

 

 

親をはじめとする教育者がするべきは、この賜物が社会の中でしっかりと発揮されるように支援してやることだという視点を持つことが重要であると考えている。

 

子どもを変にいじくりまわすのではなく、発達段階に合わせた必要最低限のものを与えながら、その賜物が花開く時を楽しみに待つのである。

 

もちろん賜物の種類や場合によると思うが、我が家の兄弟の経験で言うと、中1になる頃には片鱗が見えた。

 

その能力においては親をはっきりと超えたことが分かった。

 

 

 

 

 

僕にとってはこの「賜物」に人生最大の魅力があるので、AIは1ミリも怖くないのである。

 

「その人にしかできないこと」に興味がある。

 

AIにカバーできる程度のことはAIにカバーしてもらえばいい(AIが得意なことを職業にしている人はごめんなさい、、)。

 

 

 

皆さんも、自分や自分の家族の賜物について考えてみてほしい。

 

 

あと、各種受験相談は承ります。笑