死ぬ時に考えること
皆さんは「死ぬ時に考えること」
について考えたことがあるだろうか。
もちろん「その時」はどういう形で訪れるかは分かったものではなく、考える時間が与えられるのかは分からないが、それを考えることで、自分にとって本当に大切なものが見えてくる。
という言葉をどこかで見た。
僕は中学生の頃から教師になることが夢で、そのために進むべき道を考えて一直線に進み、その夢を叶えた。
しかし、教師になった時、ふと恐ろしいことに気がついた。
「教師になって何をしたいかは特に無い。」
これに気づいた時、言葉にできない恐怖が僕を襲った。ずっとなりたかった仕事な訳だし、別に毎日が苦痛な訳じゃない。お金に関しても、どのくらいの稼ぎがあるかということは把握していた通り。
しかし
このまま何となく生きていって、
例えば定年間近になって、
「あ、あれやっとけばよかった。なぜチャレンジしなかったんだ。」
ということが出てきても、事によってはもう為すすべはないのである。些細なことなら仕方ないで済むが、とても大切なことにその時になって気づいたら取り返しがつかない。
体力的にも時間的にも限界のあるその60歳まで何となく進んでしまう。進んでいけてしまうステージにもう僕は乗っている。
これに気づいて、僕は冒頭の言葉を思い出し、一気に人生のゴールまで考えた。
「死ぬ時に何を考えるか」
どうなっていたら幸せなんだろうか。
自分は何を求めるだろうか。
僕が考え抜いた結論には
「人」がいた。
お互いに信頼している人達に囲まれて死ねたら幸せだなと思った。
さらに僕は考えれば考えるほど、「人の能力」にかなりの興味があることが分かった。
自分は世界の色んな場所に行きたいかなとも思っていた。
色んな動物に会いたいかなとも考えた。
お金持ちになってみたいかなとも考えた。
しかし、僕にとって一番魅力的に感じるものは圧倒的だった。
人ならではの能力。
すごい力を発揮している人と出会ったら何よりワクワクするし、感動する。
そして、誰しも何らかの、誰にも負けない能力「賜物」をもっている。
これがあるから、僕はAIが1ミリも怖くない。この魅力は人にしかないからだ。
しかし、それがしっかりと発揮されるかは別の話だ。
となると
その賜物が輝くための手伝いをしながら生き、色々な能力をもった人達とたくさん触れ合いながら生き、信頼できる仲間に囲まれながら生きることができたら、それは間違いなく幸せだなと思った。
そう考えると、教師というのは、その夢にしっかりとつながる仕事だと思った。そして、教師をしている間の僕のタスクも決まった。
子ども達の賜物がいつか輝くための働きかけをするということ。
これからいつまで教師という仕事をするかは分からないが、少なくともしている間に僕がすべきことははっきりした。
そして安心した。
納得して教師という仕事ができる。
皆さんも、一度真剣に、
「死ぬ時に考えること」
について考えてみてはいかがだろうか。
人生の迷子に陥ることを予防するためにもおすすめである。
でもやっぱり野生のペンギンに一度も会ってなかっても後悔するかな、、。