初任の時の話
僕は、大学時代に学校ボランティア等も経験しておらず、講師経験もないままに採用された。
現場のことは何も知らないまま、4月1日から学校での勤務が始まり、4月7日には学級担任として始業式である。
はちゃめちゃ具合に関しては、ご想像の通りである。
今回は、初任の1年を振り返って、シンプルにその時感じていたことや、そこから今考えていることを紹介しようと思う。
まず、1学期の記憶はほとんど無い。
後に自己分析して分かったのだが、今目の前で起こっている出来事が、良いのか悪いのか、価値あることなのかそうでないのか等を分かっていなかったら、記憶にも残りにくいらしい。
何も分かっていないので、逆にとにかく突っ走るだけで終わったような感じである。
苦しみ始めたのは2学期。
意味が分かり始めたのである。
自分のクラスの学習規律がいかになっていないか。
自分の授業がいかにつまらないか。
ダメだということに気づくだけ気づいて、でもそれをどうにかする技量があるわけでもない。
「ダメ」な状態にひたすら耐える毎日というのは結構キツかった。
その時の子ども達にはすごく申し訳ないことだが、12月くらいからは、ひたすら4月を待ち望んでいた。
もうすでに半年間、この環境と担任に馴染んでいる子ども達と、物事を大きく変えられる気がしなかったのである。
今年度うまくいってないことを、来年度には必ず改善しなければならないと思い、学級開きからやるべきことを1つずつ考え始めた。
クラスの最終日も、いつもと変わらずグダグダ。
最後まで「聞いてください!」とか言っていた記憶がある。
涙も出るわけもない。
こうして、初任の1年間が終わった。
2年目、あろうことか1年生の担任になった。
2年連続同じ失敗をしてはいけないと、かなり自分にプレッシャーをかけて臨んだので、入学式の朝に教室でエンドレスでかけていた「1年生になったら」を聞くと、その時の緊張感が体に蘇って、今でも少し気分が悪くなるほどである。
そして今、初任の時のことを思い出して頭に思い浮かぶのが、一緒に学年を組んでいた先輩達(4人)のことなのだ。
その後この仕事を何年も経験した上で思い返すと、初任の僕に対してかなりの放置っぷりだったのである。
聞いたら何でも教えてくれたが、聞かない分には授業のことも何も指導されない。
教室に入ってきて様子を見ることもない。
自分の授業を見においでと言うこともない。
当時は、それしか知らないので、そんかものなのかと思っていた。
2〜3年たった頃には他の例もいくつか見て、普通はもう少し色々教えてもらうものだということを知り、僕も教えて欲しかったと思っていた。
そして今、さらに色々な例を見て、初任時代に言われたことや叩き込まれたことが呪縛のようにのしかかっている人がけっこういることを知り、あれで良かったなと思っている。
しかし、これ(同じ学年の初任に対してどの程度口出しをするか)に関してはなかなか難しい問題である。
今でこそ僕はあの時に、誰かのハウツーにや手法に頼り切りにならず、苦しみながらも自分で考え続けたことで、自分に合う基盤を作ることができたと考えている。
でも、当時苦しかったのは苦しかったし、完全に崩壊するリスクもあった。
もし初任や、そのくらい経験の少ない後輩が同じ学年にやってきたらどうするべきか。
僕は授業のことをあまり先輩に聞きに行かなかったが、それは向上心が無かったわけでも自信があったわけでもなく、聞きに行っていいものなのか、何を聞けばいいのかが分かっていなかったのである。
その状態を想定してこちらから色々教えてあげるべきか。
はたまた、そうすることで知らず知らずの間に自分のやり方や考え方をすり込んでしまうことを避けるために、あまり多くをこちらからは与えないようにするべきか。
これに関しては、塩梅も含めてまだよく分からない。その人にもよるだろう。
でもとにかく、そういった後輩と同じ学年を組むことになった時には、当時の自分の苦しさを思い出して、その後輩のためになるサポートをしてあげたいと思う。