ポッター教育研究所

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教師として人気があるのは良いこと?悪いこと?

教師として人気があるのは良いことなのだろうか。良くないことなのだろうか。

 

立場は様々であろうが、教師なら一度や二度考えたことがあるんではないだろうか。

 

僕も「人気」について悩んだ教師の一人である。

 

 

 

教師が子どもの心を掴むことは、学級や授業をうまく進めていくために大切なこと。

 

教師とて一人の人間。子ども達や保護者から人気があるというのはうれしいこと。

 

でも、人気があるということは、子どもを甘やかしていることの裏返し?

 

でも、人気がある教師の存在は、他の教師やクラスにとって迷惑?

 

などなど、どちら側の意見も聞こえてくるわけである。

 

 

僕自身、3年目くらいまで迷いがあった。

 

しかし今は、教師として人気があるのは良いことだと考えている。

 

そんなことを?と思うかもしれないが、僕なりにはけっこう真剣に悩み考えた。その結果そう考える理由は以下の3つ。

 

 

 

 

理由1 人気は自分の身を守る

最も原始的な理由はこれ。

 

初任の時、僕のクラスはボロボロ。

授業もうまくないし、学級経営もうまくない。当然の結果である。

 

辛いと思うことも多かったが、他の教師の入り込みを必要とするところまではいかないところで踏ん張った。

 

初任の僕を救ったのは、「おにご」だった。

 

子ども達は、僕のことを尊敬していなかったかもしれないが、僕のことを嫌いでもなかった(と思う)。

 

あの時、何もできない僕が子ども達に嫌われていたらどうなっていただろうと思うとゾッとする。

 

初任から少しずつレベルアップした今、まだおにごのみで子どもの心をつなぎ止めているようではいけないが、経験が浅い内、もしくはクラスの状態が苦しい時、人気は教師自身を崩壊から救う最後の砦になる。

 

 

理由2 子どもからの評価は真っ当

初任の1年を「おにご人気」だけで生きのびたと思っていた僕は、2・3年目にこのことで悩んだ。

 

人気があるのは教師として力がない裏返しなのか。

子どもから恐れられて、少し嫌われているくらいの教師が優れた教師なのか。

 

でも、子ども達からの評価はそんなに甘いものではないと知った。

問題なのは、人気があることではなく、「おにご人気」程度の人気しか無いことなのだ。

 

子どもからの評価というのは、大人が考えている以上に総合的であり、シビアである。

 

子どもは、楽しい時間を提供してくれるのか・自分に力をつけてくれるのか・自分を不快なことからきちんと守ってくれるのか等、総合的にみて教師を評価している。

 

甘やかしているだけで厚い人気を得られるかというと、そんな甘いものではない。

 

それによって都合のいい思いをしている子どもからの人気は集めても、それをよく思っていない子どもからの支持は得られない。むしろ不満感が募って危険な状態に陥る。

 

きちんと叱ってやらないといけない場面で叱らない教師のことを、子ども達はやさしい先生とは言わない。「やさしすぎる先生」と言う。

 

そのことによる不満を感じる場面が少なからず生じるからだ。

 

逆に、一見怖そうでも、きちんと子どもが納得して満足している場合、子ども達は「厳しいけどやさしい」と言う。

 

本当の意味でやさしいとはどういうことか、子ども達はちゃんと理解している。

 

さらには、子どもによって、何を教師に求めるのかも違う。

単純に一方を取ればもう片方は落ちる。

 

そんな中で、クラスの全員、あるいは9割からいい先生だと思ってもらうためには、本当に色々なことをケアして、クリアしていかないといけない。

 

今は、「ポッター先生はやさしい。」という言葉を、厚みのある言葉としてうれしく受け取ることができるようになった。

 

 

理由3 仕事をする上でのマーケティング

これは、上で挙げた2つの理由に比べると、付加価値的な理由である。

 

教師をしていると、よく

「今は辛くても、将来の〇〇のためになる。」

とか

「嫌われ役は必要。」

とかいうことをよく聞く。

 

これは、教育を担う者として一見まともなことに聞こえるのだが、僕は疑問に思った。

 

例えば、民間企業でそんな考え方は通用するのか。

 

顧客のニーズに応えようという気持ちが一切無い。

 

子どもや保護者が嫌がろうが辛かろうが、自分の思う正義を貫くということしか頭にない偉そうな考え方だと僕は思う。

 

顧客を得て利益を得なければならない民間企業でこんなことをしていたら一瞬で潰れるだろう。

 

もちろん公教育と民間企業は違うので、単純に比べるのは違うとは思うが、教育のプロとして、顧客(子どもや保護者)が今何を求めているのかということに高いアンテナを立てる必要はあると思う。

 

自分に貫きたいことがあるなら、相手の要求ともすり合わせて、納得してもらった上で貫くべき。

 

そこを抜いた「こだわり」は、顧客満足度に左右されない、身分を守られている公務員という立場に甘えた態度である。

 

 

さらに、子どもに力をつけるという側面から考えても、楽しい時間の中で力をつけてやるのがプロなのではないか。

 

もちろん全てのことを楽しくするのは難しいことだが、僕達が目指す理想はそこではないのか。

 

何当たり前に「今辛くても」と言っているのか。それは、こちら側の手立てや引き出しや話術が乏しいということを露呈しているだけだと僕は思う。

 

 

「辛くても」の辛さは、そんなに軽視してよい辛さなのか。

本当に正しいことをしていて、子どもから「嫌われ」るのか。

 

 

公立学校の教師という立場上、人気があるからといって立場も給料も変わらないのだが、子ども達や保護者と、お互いに「楽しい」時間を過ごす中でやるべき仕事をする教師でありたいと思う。

 

 

もちろん

以上の3つが、僕が教師として人気があるのは良いことと考えている大きな理由である。

 

だが、もちろん学校のルールは守らないといけない。

 

学校で決めたルールを破って得た人気なら、他のクラスや教師にしわ寄せがいって当然。

 

ルールの中で、自分の強みをどう生かして活躍するのか。

 

これからも、「レベルの高い人気」のある教師を目指したい。